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見習いたい『オードリー・ヘップバーンの言葉』は実現可能か?

「ローマの休日」「ティファニーで朝食を」「暗くなるまで待って」──これらを聞いて、みなさま何を思い浮かべるでしょうか。

 私は女優、オードリー・ヘップバーンを思い浮かべます。私が初めて観たオードリーの出演作は「ローマの休日」で、小学5年生ながらストーリーよりも彼女の笑顔や仕草に胸キュンしておりました。真実の口でのワンシーンは本当に可愛すぎてつらい。アン女王ぐうかわ。

 恐らく現在でも愛されていて、世界各国にファンが多くいるでだろうオードリー・ヘップバーンの名言を集めた本書『オードリー・ヘップバーンの言葉』を読みました。

 手に取った理由は私が“名言集”の類を読んだことがなかったのがひとつ。ふたつ目は「オードリーの作品は広く知られているけれど、彼女自身のことはどれくらい知られているのだろうか?」と思ったからです。

 ナチス・ドイツ時代を生き抜き、女優として輝いた後にユニセフ活動へ身を捧げたオードリー・ヘップバーン。

 帯や表紙には「読むことで美しくなる」「現代を生きる女性たちに多くの『気づき』を与えてくれる」と記されているけれど、私は実際に読んでみて「男性だって読んでもよい。今日日、性別を問わず見習っても素敵なんじゃないの?」と感じました。

謙虚で美しい、気品溢れるオードリー・ヘップバーンの63年

 著者、山口路子女史は2012年にも『オードリー・ヘップバーンという生き方』を出版しています。以前ので書き尽くしたと感じていた女史は、本書に取り組むことをとても躊躇したようです。

 しかし、とあるキッカケからオードリーの生き方や、なそうとしていることに改めて胸を打たれ「オードリーの想いや意志を次世代に伝えよう」と筆をとったのだとか。その“伝えたい”という気持ち故か名言だけでなく、オードリーの魅力や生き方が読むだけで分かる構成になっている。

 本書は「はじめに」と「おわりに」、参考文献や略式年表などを除いて5つのチャプターに分けてオードリー・ヘップバーンを語っています。

 ここらで私が気に入った名言とストーリーを引用したい……ところだけど、それではあまりにも無粋である。やはり名言はその目で確認していただきたい。ので、各チャプターをザックリ紹介いたしまする。

chapter1:美

 ──本当の美とはなにか、自然体とはなにか。

「美しい女優」と世界的に評価されていながら、彼女自身は自分をまったく美人だと思っていなかった──むしろ、コンプレックスだらけだったオードリー・ヘップバーン。いやいや、そんなバカな! と最初は思っても、読んでいくうちに納得させられるチャプターです。

 この「美」では謙虚さや控えめな姿が見えてくるのだけれど、コンプレックスが沢山あるからこそ“長所”を磨く多大な努力と美意識がひしひしと伝わってくる。「笑顔」が何よりも重要だとしていたのも印象的。

chapter2:愛

 恋人へ、家族へ、友人へ、自分を必要としてくれる全ての人への「愛」を持ち、自分も愛されることを切望する姿が伺えるチャプター。

 仕事も愛しているけれど家族への「愛」が一番──なによりも優先する姿勢は両親の仲が悪く、父親に捨てられた経験があるオードリーだからこそ固執し、執着していたように感じられる。同時に女優業よりも「完璧な母」「完璧な妻」を務め「健全な家庭」にしようとしていたのは健気すぎて痛々しくもありました。

 結局、晩年はパートナーと結婚はしないけれど支え合って生きたオードリー。もっとも大事なのは「求めるがまま、自分なりに全力で愛する」ことではないことを示してもらったように感じた。

chapter3:仕事

 ──果たして仕事だけが人生なのか。

「気品」と「己」をしっかりと持ってチャンスを逃さず、時には劣等感だって感じるけれど、強い精神と揺るぎない軸を持って行動する。与えられた仕事は全力で取り組む。……それらは当然だけれど、本当に仕事だけが人生なのだろうか

 耳が痛い(読んでるから目が痛い?)、でも実にオードリー・ヘップバーンらしいチャプターです。

「家庭」や「美意識」を蔑ろにし、上の人間にすがって自分の意志を曲げる──それはおかしい、間違っている。そんなオードリーの芯の強さを感じると共に、見習いたい気持ちにもなってくる。けれど、見習うにはレベル高すぎるような気がしなくもない……そう考える時点で甘えてるのかしらん。

chapter4:人生

 ナチス・ドイツ時代を生き抜いた少女時代──厳しい母の言いつけを守りながら感じていた寂しさと、父に捨てられたショックに打ちひしがれた後に訪れた、生きるか死ぬかの戦争。そこで見た恐怖。

 心身ともに過酷な環境でも、オードリーは悲観しなかった。それどころか積極的に抗う勇気と正義感を身につけた。一歩でも間違えれば、ヴィクトール・E・フランクルをはじめ多くのユダヤ人が辿った道に進んでいたかもしれないと考えるとぞっとする。

 幸いにも生き抜いたオードリーは、それらの経験を晩年のユニセフ活動に繋げていきます。そして自分が得られなかった「親からの愛」を2人の息子に惜しみなく注いでいくのです。

 さらに、人生を受け入れていたオードリーは終始穏やかで、その穏やかさは最期まで揺らぐことはありません。このチャプターも非常にオードリーらしく、そして涙腺が刺激されるところでした。

chapter5:使命

 オードリーのユニセフ活動は58歳から始まります。

 なぜ、自分は有名になったのか。栄光を手に入れたのか。「使命」を悟った彼女は、かつて少女だった自分を助けるかの如く、難民キャンプで横たわる子供たちを助けるために積極的に行動を起こします。

 その活動で彼女は、自分の知名度や美貌も惜しみなく利用しました。例え他人から非難されたり「無意味だ」と言われてもです。

 私はこの手の話を(自分からは何もしないクセに)「偽善的」と捉えがちだけれど、本書では素直に受け止めることが出来た。

 たぶん……というか絶対、私自身がオードリー・ヘップバーンのファンだからなんだろうけど。それを差し引いても彼女自身が戦争体験者で、本当に世界を平和にしたい──自分のような子供を減らしたい、なくしたいと願ってやまなかった。その熱意が感じられたからだと思います。

『オードリー・ヘップバーンの言葉』は実生活に活かせるのか?

 オードリー・ヘップバーンの名言、並びに各チャプターで記された事柄から学べることは非常に多いです。ただ、読みながら「自分はどうだろう」「現代人はどうだろう」と考えると、とても居たたまれない

 オードリーが存命だったら、彼女は現代人が苦手と思う。たぶんだけれど。

 コンプレックスに悲観的でいじくったり、右向け右のファッションを着こなして盛りつけ、老いを嫌って白髪や皺を恨む。世界の不幸に無関心で、愛や家庭よりも仕事と金に執着する現代人──日本人は殊更だ。

 たしかに「気づき」を与えてくれるけれど、自分の人生に活かせるかといわれると……少しばかり疑問。なりたいと思うけれど、いささかハードルが高い気がしなくもない。

 ただ『オードリー・ヘップバーンの言葉』を知ってるのと知らないのとでは、大きく異なる。だって、本書は「気づき」を与える本なんだから。読んでハッと出来るだけで価値があるのです。

 それに「58歳になって人生の意味や使命を得られた」って部分だけでも、結構な勇気が得られるんじゃないかしらん。

 いくつになっても、行動を起こすには遅くない──そんな励ましも読みとれる『オードリー・ヘップバーンの言葉』。オードリーを少しでも愛していて、今の生活を少し良くするキッカケを求めているなら手にとって欲しい一冊です。